“三人組”といったらどういう3人をイメージするだろうか。
あるいは、映画やアニメやゲームに出てくる3人組はどういうものが好きだろうか。

3人組キャラのデザインには大きく分けて2つの方向性があると思っている。

その1  3人が全員同じ属性の「東方の三賢者型」
マジックで言うと《ヴェンディリオン三人衆》、ガンダムで言うと《黒い三連星》のように、3人(機)がほとんど同規格の三人組だ。同一規格が3人揃うことで作中での存在感を発揮できるだろう。


その2  3人がバラバラの方向性の「運命の三女神型」
マジックで言うとナヒリ・ウギン・ソリンと言ったところか(マジックにおいてバラバラの方向性のキャラのグループは大体5枚サイクルにされるので好例が少ない)。ガンダムで言うとSEEDのフォビドゥン・カラミティ・レイダーガンダムだ。あるいは迫真空手部の三人組だ。3人がそれぞれキャラ付けされているので見ていて飽きないだろう。


そして、その1.5とも言うべき、「三銃士型」も定義しておきたい。
共通規格や共通点を多く持ちつつ、個々が独自色を持っているパターンだ。
マジックで言うとエムラクール・ウラモグ・コジレックが代表例だろう。ガンダムで言うとOOのスローネ3機だ。
3人の”サイクル”を強く意識させつつも、それぞれの長所や出番、物語を楽しむことができる、物語における最強パターン候補と言っても良い。(私はこれが一番好きだ)


前置きが長くなったが、映画【ドリーム】は一見「その1」の「東方の三賢者型」だが、見る人が見れば「その1.5」の「三銃士型」として最高の物語を紡いでいることがわかるのだ。
映画全体の大テーマは「知の力で黒人差別に打ち勝つ」なのだが、【ドリーム】はそれを「三賢者型」の3人それぞれの人生でしつこく繰り返すだけの薄い映画ではない。
この映画は大テーマに加え、3人それぞれに黒人かどうかに関係ないサブテーマが盛り込まれているのだ。


【ドリーム(原題:Hidden figure)】 ネタバレ少なめ

ストーリーは史実に基づいており、ソ連との宇宙開発競争時のNASA職員の黒人女性3人(3人とも数学めちゃくちゃできる)が黒人差別に打ち勝ち、宇宙開発を助けて無事アメリカの成功に導く、という物語だ。

皆、「黒人で、女性で、数学ができる」という共通項を持っている。
3人はそれぞれの部署で黒人差別(それも害意なく行われるのが恐ろしい。悪意のはけ口として、悪いことをしているという自覚を持った迫害というより、完全に偏見・因習なのだ。)により不当に低い扱いをされてしまう。
それぞれの部署は1人は飛行軌道計算、1人はエンジン設計、1人は計算全般だ。

私は日本の最多数民族の日本人で、男性なので、【ドリーム】の3人のような差別を受けている立場にはない。
では、彼女たちに感情移入できず一方的に加害者側にまとめられ、映画館で謂れのない説教をされて終わるかといえばそうではない。

3人の持つ独自のテーマは、3つとも現代日本で応用数学をする者にも当てはまる課題なのだ。

◆サブテーマ1
飛行軌道計算のキャサリンのサブテーマは、「物理・工学系による数学徒の軽視」だ。
キャサリンは他の飛行軌道計算メンバー(物理・工学系)の計算をチェックする係なのだが、彼女はただの”チェックした”というアリバイ要因程度の扱いを受けてしまう。
彼女の部署の他の人々はロケットを飛ばす計算は物理・工学徒にしかできないと本気で信じているのだ。

計画における彼女の重要性が認められるきっかけとして、他のメンバーが「この微分方程式さえ解ければ…」と頭を悩ませる中、キャサリンがオイラー法(微分方程式の解を近似的に求める手法。ロケットが飛びさえすれば良いので、微分方程式を厳密に解く必要はないのだ)を用いて数値解を求め、皆が驚く、というシーンがある。

現代に数学を学ぶものの視点からすれば、NASAの高学歴が揃ってキャサリン以外は皆が皆解析解を出すことしか考えることができないのは正直ヤバいし、私ならそんな人間のロケットには絶対乗りたくない(実際に作中の宇宙飛行士も終盤「キャサリンによる検算が終わるまで飛ばない」と語る)のだが、応用数学を軽視する彼らならありえなくもないのだろう。
しかもその後(人種差別が非合理であることはわかったあとも)も大して反省せずに”ただの計算手”のキャサリンの名前を報告書に載せなかったり会議に同席させなかったりする始末だ。
しかしキャサリンは粘り強く力を発揮し続け、最終的に、彼女は数学自体の宇宙計画における重要性をNASAに示したのだ。


◆サブテーマ2
エンジン設計担当のメアリーのサブテーマは、「政治参加との戦い」だ。
彼女の夫は黒人の人権を獲得するために戦い続ける運動家だ。メアリーや子供たちにも政治運動への参加を求めるが、彼女は自身の研究を優先したいために夫婦に不和が生じる。
メアリーは自身の就学のためには法廷闘争をする(彼女が行きたかったのは白人しか入学が認められていない学校だった)が、決して人権運動には寄与しない。
「(黒人のメアリーは)夜間のみの就学を認める」という非常に差別的な判決を受けても、自身が学べるようになる喜びで笑う彼女が象徴的だった。
同胞のために戦わない政治的無関心を責める者がいるが、メアリーは人種の自由のために戦うことよも価値を感じるものを選んだのだ。

◆サブテーマ3
計算室のリーダーだったドロシーのサブテーマは、「組織内の権力闘争」だ。特に「経理の小奇麗なインテリVS現場の技術者たち」だ。
ドロシーは計算室の待遇を改善するために、計算室の他の黒人女性たち(有色人種の計算室が分けられていたので、ドロシーの部下は全員有色人種だ)とIBM(当時の最先端コンピュータ)の操作を学び、それを武器に立場の改善要求を通したのだった。
非技術者出身の管理職が、なぜか実際にモノを作るのに不可欠な技術者を下に見て支配している構造は日本にも多いようだ。

どうだろうか。
何かしら身に覚えのあるテーマがあるのではないだろうか。

この映画は痛快なストーリー及び女優の名演、音楽が素晴らしく、それだけでも観る価値がある。加えて、あなた自身が応用数理に携わっているのならあなた自身が当事者である問題が描かれている「あなたのための映画」であるだろう。

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